誰もが安心して住み続けられるまちづくり

北区戦跡めぐり
平和をかみしめた一日

2018/10/31 東京ほくと

身近な生活の場に戦争の痕跡

黒川さんの話を聞く参加者

 社保平和学校の第二回目として北区戦跡めぐりを9月16日に行いました。19人の参加者が北区の戦跡をめぐり、今改めて「平和が一番大事」という想いを確認し合う貴重な機会となりました。
 かつて北区には多くの軍事施設(武器や弾丸、火薬等を造る兵器工場)がありました。その面積を合計すると区の面積の1割にもあたり、この割合は23区で最も高いものとなっています。こうした施設跡を現在でも区内各所で確認することが出来ます。
 飛鳥山公園の平和の女神像から出発し、火薬を造るのに用いられていた石板が忠魂碑として残る四本木稲荷神社、戦前は陸軍の兵器工場であり、戦後はベトナム戦争時に米軍の野戦病院(キャンプ王子)として使用された中央公園文化センター、弾丸を造るのに使用されていた工場跡地である北区中央図書館、戦車の試走場としても使用された赤羽自然観察公園、軍用貨物線跡が残る赤羽緑道公園、周辺で空襲によって亡くなられた方々の慰霊記念碑がある神谷公園、長崎の平和公園にある原型をもとに製作された平和祈念像のある北とぴあ、軍の物資を運ぶ水路であった豊島ドックを埋め立てて造られた豊島公園までを半日かけてめぐるコースでした。
 区民の生涯学習の場として利用されている中央公園文化センターは、戦後も占領軍に接収され米軍の施設として、昭和46年に返還されるまで保安司令部、極東地図局、野戦病院等様々な用途で使用されました。野戦病院にはベトナムから多くの傷病兵が搬送されたため、マラリアなどの感染を恐れ、敷地に近づかないように大人から言われていたと、当時の様子を参加者の方が話されていました。
 戦跡となっている軍事施設の多くが現在では緑豊かな公園となり、区民の憩いの場となっていることが戦後日本の平和を象徴しているように感じました。
 戦後に生まれた世代にとって戦争は本や映画の中で知ることが多いですが、戦争の記録である戦跡は身近にあり、これらに触れることで平和について考えるきっかけにしてほしいと、今回案内して頂いた地域資料専門員の黒川徳男さんがおっしゃっていました。

(組織部・山崎 建)