【憲法を学ぶ】第3回 国旗・国歌と憲法
東京北法律事務所
金井知明 弁護士
国旗・国歌の強制は立憲主義に相反するもの
いよいよ平昌オリンピックが始まります。今回は、ドーピング問題でロシア選手団の参加が認められませんでした。潔白を証明できる選手は個人として参加できますが、ロシアの国旗・国歌は使用できません。国旗・国歌は、国を象徴するものとして使われるものですが、今回は、この国旗・国歌と憲法の問題についてお話します。
抗議の意思表示
国旗・国歌の憲法問題は、国旗・国歌の強制という局面にあらわれます。
昨年9月、アメリカで、アメリカンフットボールリーグ(NFL)の試合前の国歌斉唱時に、多くの選手が片膝をつく行為をしたことが社会問題になりました。元々は、白人警官の黒人暴力事件に対する抗議として始まったものですが、この行為に、トランプ大統領が「国旗に敬意を示さない者はクビにしろ」と発言したことに抗議し、多くの選手が片膝をついたのです。この騒動を受け、NFLは、選手と選手が表現する権利を支持するとの方針を発表しました。
日の丸・君が代について
日本では、東京都などで、式典において国歌斉唱時に起立・斉唱を義務づけた職務命令に従えない教職員に対し、毎年のように懲戒処分が科せられていますが、このことについて裁判所は、起立斉唱の強制を違憲とは認めていません。また、自民党の改憲草案には国旗・国歌に対する尊重義務が盛り込まれ、強制の動きが見られます。
日の丸・君が代に対して否定的な思いを持っている人も少なくなく、これらの人に対し、起立斉唱を強制することは思想・良心の自由を侵害する問題があります。ただ、国旗・国歌の強制には、別の大事な側面もあります。
国旗・国歌は、国や時の国家権力を象徴するものです。国旗・国歌の起立斉唱は、国や時の権力に対する敬意を表明するという意味合いがあります。国がどうあるべきかについて自由に考え、個々の意見を述べることは、民主主義の最低条件です。国旗・国歌を尊重するべきという意見も分かりますが、強制することは、民主主義を脅かし、前回お話しした立憲主義にも相反するものです。
不動の星の輝きを守る
アメリカで戦時下である1943年に国旗敬礼の強制を違憲としたバーネット判決は次のようにいいます。「我々の憲法の星座に不動の星があるとすれば、それは、いかなる当局者も、政治、ナショナリズム、宗教において、または見解に関わる他の問題において、何が正統であるかを定めることはできない」と。
日本の憲法にも、同じく不動の星はありますが、裁判所や現在の政権にはその輝きがまだ見えないようです。